宝石みたいだ

今日は猫の日ということで、私が飼っている猫の話をしようと思う。

 

私と猫が家族になったのは2018年の6月前後、確かだんだんと湿気が多くなってきて鬱陶しさを感じ始めたくらいだったと記憶している。

その頃、私が東京から紆余曲折を経て実家へ戻ってきた時期で、昔から仲が良くなかった私と母の関係は悪化の一途を辿っており家の空気は最悪だった。私も私で、帰省することになった理由があまり人様に話せる内容ではないし申し訳なさもあるしで結構いっぱいいっぱいだったんだろう。

 

帰ってきてしばらくは無職生活を満喫していて、そんなある日、母から昼頃に連絡が来た。知り合いが子猫を保護したから飼ってみるか、と。私は元々動物が好きで、猫を飼いたいと密かに思っていたため二つ返事で了承した。

猫、正しくは子猫が私の家に来たのは母から打診があった日から3日後の夕方。仕事を終えた母がダンボールを抱えて帰宅し、私はドキドキと不安を半分ずつくらい抱きながらダンボールを受け取った。前もって綺麗にしておいた部屋にダンボールを置く。中では子猫がみゃあみゃあと元気に鳴きながら、ゴソゴソと動き回る音がした。

ダンボールを開けると、そこには本当に小さい命があった。私の手のひらに収まるくらいの大きさしかなく、ダンボールから抱き上げて部屋に出してやると、やはり人間が怖かったのかすぐに私から距離を取ってしまった。けれど、その後少ししてから部屋の中をウロウロ動き回り、満足したらパソコンデスクの足の部分に身体を預けてスヤスヤと眠った。

 

トイレは要らないダンボールにトイレシートと猫砂を敷き詰めて作った。子猫はトイレの場所をすぐ覚えたけど、3日くらいは下痢気味だったり血尿が出たりしてとても心配だった。幸い、ご飯はたくさん食べていたのでそのまま様子を見ていたら1週間くらいで普通の便と尿に戻り、私にも懐いてくれた。子猫は私のお腹や背中で眠るし、私が視界から消えたら不安そうに鳴いて探すし、スマホを触っていると指をしゃぶって甘えたり、そういう姿を見て心がじんわりと温まるのを感じ、これがひょっとしたら"愛しい"という気持ちなのかもしれない、と思った。頑張って世話をしようと誓った。

 

そんな子猫が来てから今年で5年になり、子猫はいつの間にか猫になった。今はもう指をしゃぶって甘えたりふみふみはしてくれないし、あんまり猫じゃらしで遊ばなくなったけど、私がトイレに行くと絶対着いてくるし、毎日一緒にお風呂に入りたがる。お腹が空けば呼びに来るし、ちゅーるが食べたいと片っ端から部屋の物を散らかしてアピールしてくる。犬みたいに育ったなあ。

別に同じ言語で会話出来てるわけじゃないけれど、きっと猫は私のことを家族だと思ってくれている。私も猫はただの猫ではなく、家族だと思っている。心はきっと繋がっている。そう思っている。馬鹿だと思われてもいいけど、私と猫の絆は確かに存在しているのだ。

 

辛いことがあったとき。

悲しいことがあったとき。

嬉しいことがあったとき。

楽しいことがあったとき。

悔しくてどうしようもないとき。

やるせない気持ちでいっぱいのとき。

 

どんなときでも家に帰れば猫は待っていてくれる。返事はしないけど、話を静かに聞いてくれる。たったそれだけのことでこの5年間、私がどれだけ救われてきたことか。濡れたピンクの鼻、長いヒゲとおっきい耳にビー玉みたいな目、ふわふわでお日様の匂いがする毛。どこを取っても、私は宝物だと言える。

 

毎朝、寝返りうとうとすると足元が重たい。眠い目をこすりながら確認したら絶対猫が私の足の間に挟まって丸くなって眠っている。

 

私の寿命、半分あげるから化け猫になってもずっと一緒がいいなあと馬鹿なお前の飼い主は常々願っています。